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なぜ灰色?鉄都北九州の「れんが」 製鉄所の副産物、戦前から活用 - 西日本新聞

 戦前の建物が残る北九州市の街中は、れんが造りの建物が目につく。観光地の「門司港レトロ地区」(同市門司区)の赤れんがの建物は有名だ。ただじっくり見ると、赤れんがばかりでなく、ねずみ色っぽいれんががあることに気付く。これは一体何なのか。汚れているだけなのか。この地味な謎を探ると、「鉄都」北九州ならではの風景であることが分かった。

 「北九州の街中でたまに見掛けるねずみ色っぽいれんがは、鉱滓(こうさい)れんがです」。産業考古学会理事の市原猛志さんが教えてくれた。市原さんによると、製鉄所の高炉で鉄鉱石を還元して鉄を取り出す過程で出る副産物(スラグ)を利用し作ったものだという。

 市原さんの調査では倉庫や工場など、鉱滓れんがを使った建物は北九州市内に50棟ほど存在。民家の「塀」や「石段」などの構造物はもっと多いという。鉄の街が生んだ「れんが」だったわけだ。

 市原さんによると、鉱滓れんがは1907年に生産を開始。80年代まで作られていたという。大量に出るスラグの処分方法の一つだった。九州一円で使われたが、重量があって運搬する手間がかかることから、地元での消費が多かったようだ。次第にれんがの需要自体が減って生産を中止したという説がある。

 日本製鉄関連会社の日鉄高炉セメント(小倉北区)は、八幡製鉄所のスラグを使ってセメントを製造している。同社によると、社史には鉱滓れんがが通常のれんがに比べ強度があり、寒さにも強いとの記載があるという。スラグを使ったセメントも強度が増すといい、同社の社員は「副産物の再利用なので、セメントの原料である石灰石の使用も減り、エコでもあるんです」と胸を張る。

 製鉄所がある他の都市はどうなのだろうか。「釜石製鉄所(岩手県釜石市)でもかつて鉱滓れんがは作られていました」。岩手大理工学部の小野寺英輝准教授(機械工学)は話す。ただ現在、街中で見掛けることはほとんどないという。

 釜石市は太平洋戦争で艦砲射撃を受け、多くの建物が破壊された。その際、鉱滓れんがの建物も消えたと小野寺さんはみている。「鉱滓れんがは北九州に特徴的な風景といっていいと思いますよ」

 東京駅で知られる建築家辰野金吾が設計した、鉱滓れんが使用の工場も残る北九州市。しかし、産業考古学会の市原さんによると、建て替えなどで急速に失われているという。市によると、鉱滓れんがのある風景は映画のロケ地にもたびたびなっており、「鉄都」の貴重な地域資源として可能性は大きい。(内田完爾)

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March 14, 2020 at 04:02AM
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