1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の被災地には、全国から多くの文化財担当者が応援に駆けつけ、非常時の発掘調査を担いました。ただ、復興を遅らせないのが大前提だったため、新たにみつかった遺跡でも消える運命にありました。このときに得られた教訓は、2011年に起きた東日本大震災へとつながっていきます。
拡大する武庫庄遺跡で出土した大規模建物跡の遺構(尼崎市教委提供)
「なんだ、これは?」
兵庫県尼崎市の阪急神戸線武庫之荘(むこのそう)駅から北へ約1キロ離れた民間マンション建設予定地。1996年7月、千葉県教育委員会から阪神・淡路大震災の被災地応援に来ていた半澤幹雄(はんざわみきお)さん(54)は、畑だった場所を地表から30センチほど掘り進めていくと、黒く変色した直径50センチほどの円形の穴が一列に並んでいるのをみつけた。
この一帯は「武庫庄(むこのしょう)遺跡」と呼ばれ、弥生時代中期の竪穴住居跡や方形周溝墓などが出土した集落遺跡として知られていた。震災からの復興工事の一環で6階建てのマンション建設が計画されたため、半澤さんらが5月から2カ月の予定で事前調査にあたっていた。
目をこらして周りをよく見ると…
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残せなかった巨大建物跡、悔いは東北へ「恩返しできた」 - 朝日新聞
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