Search

有名建築家がつくった五輪会場|過去の五輪の名建築を振り返る【#私の東京2020】 - Esquire

ロンドン五輪の水泳会場

High Level/REX/Shutterstock

 五輪と言えば、4年に1度の地球の祭典です。それはアスリートだけでなく、大会を支える人々にとっても同じことでしょう。そこで上の写真をご覧ください。

 これはロンドン五輪で使用されたメイン会場の「アクアティクスセンター」です。このように、競技会場を設計する建築家にとっても「人生最大のイベント」と言えるのです。

 競技が行われる会場を設計するということは、建築家にとって自身の作品を世界に対し濃密にアピールできる絶好の機会です。毎回、当代最高峰の建築家が選ばれ、つくり上げられた五輪会場は世界中の多くの人々の記憶に残り、大会終了後も語り継がれていくのですから…。

 そこで今回、名建築家が携わった歴代五輪の会場を振り返ってみましょう。

ザハ・ハディド(Zaha Hadid)

アクアティクス・センター(2012年:ロンドン大会)

ロンドンアクアティクスセンター

Aflo

ロンドンアクアティクスセンター 

Aflo

ロンドンアクアティクスセンター

Aflo

The Naked Heart Foundation's Fabulous Fund Fair In London - Inside

David M. BenettGetty Images

 “建築界のノーベル賞”とも称えられるプリツカー賞の受賞者でもあったザハ・ハディド氏。彼女によってロンドン東部のオリンピックパーク内につくられたのが、(前出の)屋内水泳施設「アクアティクス・センター(Aquatics Centre)」です。

 50mの競泳用プールと25mの飛び込み用プールを備え、五輪では競泳・飛び込み・アーティスティックスイミング、およびパラ五輪の競泳競技で使用されました。

 曲線を描いた建築や、外壁などに特徴的なデザインを施すザハ氏らしく、この建築で最も目を引くのは流線形を描いた屋根と言えるでしょう。デザイン面だけでなく、断熱性や気密性、昼光を利用するなど、サステナビリティへの配慮もふんだんに施されています。

 大会期間中の収容人数は1万7500人でしたが、適切な維持管理のためにパラ五輪後に改修を行ない、収容人員は2500人まで縮小されています。


ヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron)

北京国家体育場(2008年:北京大会)

北京国家体育場

AP/アフロ

北京国家体育場

Aflo

北京国家体育場

Aflo

北京国家体育場

Beijing View Stock Photo/アフロ

WSJ. Magazine 2018 Innovator Awards Sponsored By Harry Winston, FlexJet & Barneys New York - Arrivals

Lars NikiGetty Images

 数多くの斬新な建築が建てられた五輪としても知られる、2008年の北京大会。その中でも多くの方の記憶に残っているのが、“鳥の巣”というニックネームでもお馴染みだった北京五輪のメインスタジアムである「北京国家体育場」ではないでしょうか?

 設計を担当したのが、スイス出身の建築家ユニットのヘルツォーク&ド・ムーロン。彼らは、東京・青山のプラダ青山店の建築を担当したことでも知られています。

 この北京国家体育場は、ランダムな方向に向けて伸びる鉄が交錯する独特の構造体で覆われた外観は、かなりインパクト大。この構造体のパターンは、高度な幾何学による複雑なルールをもとに設計されています。大会中の最大収容人数は9万1000人、大会終了後に8万人収容へと縮小されました。


サンティアゴ・カラトラバ(Santiago Calatrava)

アテネ・オリンピックスタジアム(2004年:アテネ大会)

アテネ・オリンピックスタジアム

Aflo

アテネ・オリンピックスタジアム

Aflo

アテネ・オリンピックスタジアム

Aflo

National Museum Of Mathematics 2015 Gala

Laura CavanaughGetty Images

 21世紀最初の五輪となったアテネ大会ですが、メイン会場となったアテネ・オリンピックスタジアム(Olympic Stadium, Athens)を担当した建築家は、スペイン出身のサンティアゴ・カラトラバ氏でした。もともとは、1982年に建てられた競技場をカラトラバ氏の手によって大規模改修されたのです。

 カラトラバ氏と言えば、青空に映える白色を主体とした建築を多く残し、特に「橋のデザイン」で高い評価を集める名建築家です。最上部に架けられた緩やかで美しいアーチや、まるで翼を広げたかのようなスタンドの屋根のデザインはどこか橋のデザインを連想させ、スタジアムに上品さと躍動感を与えています。


磯崎 新(Arata Isozaki)

パラウ・サン・ジョルディ(1996年:バルセロナ大会)

パウラ・サンジョルディ

Alamy/アフロ

バルセロナ五輪会場

AGE FOTOSTOCK/アフロ

パウラ・サンジョルディ

Aflo

Japanese Architect Arata Isozaki Visits Jianchuan Museum In Chengdu

VCGGetty Images

 パウラ・サンジョルディ(St. George's Palace)とは、スペイン・バルセロナのモンジュイックの丘に建てられた屋内競技施設です。1996年のバルセロナ五輪では体操競技・ハンドボール決勝・バレーボール決勝などが開催されました。

 名前の由来は、バルセロナがあるカタルーニャ地方の守護聖人であるサン・ジョルディです。この建築を担当した建築家こそ日本が誇る名建築家の1人で、2019年にプリツカ―賞を受賞している磯崎 新氏です。

 この建築でひときわ目を引くのが、どこか和な表情のある屋根と言えるでしょう。これは金属網と陶器製の瓦でつくられていて、日本のお寺のような独特な雰囲気を醸し出しています。

 ちなみに3枚目の写真では、この施設がプールとなっています。が、これは2003年に世界水泳が開催されたためです。この大会では北島康介選手が100m平泳ぎ・200m平泳ぎで当時の世界新記録で優勝を飾っています。


ギュンター・ベーニッシュ, フライ・オットー(Günter Behnisch, Frei Otto)

ミュンヘン・オリンピアシュタディオン(1972年:ミュンヘン大会)

ミュンヘン・オリンピックシュタディオン

ロイター/アフロ

ミュンヘン・オリンピックシュタディオン

Alamy/アフロ

ミュンヘン・オリンピックシュタディオン

Aflo

Günter Behnisch
ギュンター・ベーニッシュ氏

ullstein bildGetty Images

 1972年のドイツで開かれたミュンヘン五輪のメインスタジアムとして、陸上競技と開会式・閉会式が行われたのがここ、ミュンヘン・オリンピアシュタディオンです。

 このスタジアムでひときわ目を引くのが、メインスタンドを覆う独特な吊り構造の屋根です。これはケーブルネット構造や吊り屋根で有名なフライ・オットー氏の尽力によるもので、アクリルのパネルが張りめぐられていて、自然界にある有機物のような表情を醸し出しています。屋根は光を遮(さえぎ)ることなく、とても明るく、屋根の存在を感じさせません。

Frei Otto
フライ・オットー氏

ullstein bildGetty Images

 ちなみにこの競技場は、ドイツのプロサッカーリーグであるブンデスリーガ、FCバイエルン・ミュンヘンと、日本代表の大迫勇也選手がかつて所属していたTSV1860ミュンヘンのホームスタジアムとしても使用されていました。現在この2チームはこのスタジアムを飛び出し、上記でご紹介した建築家ユニット、ヘルツォーク & ド・ムーロンがデザインした「アリアンツ・アレーナ」を本拠地としています。


丹下健三(Kenzo Tange)

国立代々木競技場(1964年:東京大会)

国立代々木競技場

田中庸介/アフロ

国立代々木競技場

AP/アフロ

国立代々木競技場

USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

JUL 1 1966, JUL 3 1966; Kenzo Tange Hasn't had Time to Celebrate; He won gold medal of American Inst

Jack RiddleGetty Images

 2020年の東京大会でも、競技会場として使用される国立代々木競技場ですが、前回の東京五輪ではメインアリーナとなる第一体育館では競泳、第二体育館ではバスケットボールが行われました。

 設計を担当したのは、広島平和記念公園や新宿の東京都庁舎、フジテレビ社屋のデザインでも知られる丹下健三氏です。

 この競技場は、吊り橋と同じ吊り構造の技術を用いて屋根を設計することで、内部に柱を持たない構造となっています。第一体育館は2本、第二体育館は1本の主柱から屋根全体を吊り下げています。

 この無柱空間をデザインした狙いは、「柱のない空間にすることで観客が競技に集中することができ、選手のパフォーマンスと観客の応援が一体化することによって、五輪の素晴らしい祝祭空間が誕生する」と、丹下氏が信じたからこそ生まれたデザインだと言います。

 竣工から半世紀以上が経った現在でも、代々木エリアのランドマークとして、愛され続けています。2020年の五輪ではハンドボールの会場として、パラ五輪ではバドミントンと車いすラグビーの会場として使用される予定です。


山田 守(Mamoru Yamada)

日本武道館(1964年:東京大会)

日本武道館

佐藤哲郎/アフロ

日本武道館

月岡陽一/アフロ

日本武道館

松尾/アフロスポーツ

 武道はもとより、ビートルズ来日公演の舞台になるなど、ライブ会場としてもお馴染みの日本武道館は、1964年の東京五輪の柔道会場として建設されました。設計を担当したのは、京都タワーや聖橋(東京都文京区と千代田区に架かる橋)なども手掛けた 建築家の山田 守氏です。

 正八角形の屋根が特徴的で、なだらかに広がる屋根の稜線は富士山をイメージしていると言われています。屋根の頂上には、「大きなたまねぎ」とも言われる物体が設置されています。これは魔よけの意味を持つとされる擬宝珠(ぎぼし)で、避雷針の役割も果たしているとのことです。

 2020年の東京大会では五輪大会で柔道と空手の会場に、パラ五輪では柔道のみの会場となる予定です。

Let's block ads! (Why?)



"建築家" - Google ニュース
February 25, 2020 at 08:43PM
https://ift.tt/2Vnupge

有名建築家がつくった五輪会場|過去の五輪の名建築を振り返る【#私の東京2020】 - Esquire
"建築家" - Google ニュース
https://ift.tt/35adqA5
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

Bagikan Berita Ini

0 Response to "有名建築家がつくった五輪会場|過去の五輪の名建築を振り返る【#私の東京2020】 - Esquire"

Post a Comment

Powered by Blogger.