「自慢の卒業生をあげてください」と茨城県立水戸一高のOB、OGにたずねると、多くの方がその名をあげるのが建築家の妹島和世さん(63)=1974年度卒=です。建築界のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞。90年代の活動初期から「公園のような場所」を目標に、孤立しがちな人々をやわらかく結びつける設計を心がけ、小さな個人住宅から大きな公共建築まで、世界中で活躍してきた方です。そんな妹島さんの一高時代を振り返っていただきました。【本多健】
長年、建築を仕事にしていますが、一高時代は残念ながら、建築に強い興味があったわけではありません。幼い時に建築に関する原体験のようなことがありましたが、高校時代はすっかり忘れていたぐらいです。
確か小学校2年のころでした。母親の読んでいた婦人雑誌にモノクロのモダンな建物の写真が載っていました。世界的建築家の菊竹清訓さんの代表作「スカイハウス」です。誰が作ったのかということより「こんな家があるんだ!」ということにものすごく驚き、面白いと感じました。ちょうど我が家に新築計画があったころで、あれはどうだ、これはどうだと両親に間取り図を見せる始末でした。
生まれ育ったのは日立製作所の社宅でした。日立市内の太平洋を望む大規模な社宅街で、運動場や郵便局、スーパーに遊園地までありました。高度成長期で活気があり、県外どころか外国から来た方もいました。個性的なお父さんたちもいっぱいいて、都会的でリベラル。たくさんの同級生と原っぱを駆け回りながら育ちました。
中学では元気いっぱいの卓球少女でしたが、次第に外の世界にあこがれました。毎日、電車に乗ってどこかへ行きたい。本当にそれだけで、一高を受けたように思います。
通学は常磐線の日立駅を使いました。しかしこの駅、潮の香りもするほど海岸に近いのになぜか海が見えません。2005年にコンペで海の見える駅を提案して選ばれ11年に完成しました。高校時代の思いをかたちにできたと思います。
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さて、憧れの一高です。
入学してみると、男子校だった時代の名残で、女子はまだ40人ほどしかいません。9クラス中、7クラスは男子ばかりです。多数を占める(茨城大教育学部)付属中から来た女子はテニス部が多く、電車通学の女子同士でバドミントン部に入ったのですが、こちらも男子ばかり。日立の中学の同級生が通う別の高校で練習に参加したりしましたが、続きませんでした。
日立の社宅は間取りの種類が少なく、生活は均質でみんなわきあいあいとしていました。でも水戸では学力とか経済力とか、みんなが同じではないということを知りました。同じような生活を皆がしていると安心ですよね。そんな日立から自分だけ離ればなれで水戸に行き、ちょっと寂しい感じになりました。
でも当時の一高ならではの経験もしました。
学園紛争の影響もあり、私が入った時期に制服がなくなりました。うれしかったけれど、何を着るか困ってしまい、まずはブレザーとスカートで様子見。そのうちジーンズがはやりだしました。ただ、服装に興味あったけれど、お金もそんなにありません。ちょっと冒険するにしても、帰りに喫茶店によって、コーヒーを飲むくらいでした。
面白い先生も多くいました。担任の生物の先生は留学経験者で、英語の勉強の仕方を教わりました。家で英語を流しっぱなしにしていたら、聞き取れるようになったとか、いざ、アメリカに行ってみると、コーヒーショップでも通じず、苦労したとか……。今では珍しい話ではないかもしれませんが、世界は広く、いろいろな社会があるんだということを先生たちが教えてくれたように思います。
一昼夜かけて70キロほどを歩く「歩く会」も思い出のひとつです。全校生徒で歩くってなかなか強烈で、深夜まで歩き、豚汁を食べて仮眠。最後は競争です。ギブアップしたり、遅いと後ろからついてくるバスに収容されますが、3年間、なんとか完歩できて、よかったよかった。
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そんな一高時代も終わりに近づき、建築を進路に選びますが、これが残念なことに消去法でした。理系でしたが医学部は難しい。研究者もイメージできない。工学部しかないけれど、何を専門にするか迷った末に建築を選びました。とはいえ、実際にどんな仕事なのか全く知らないし、海外の建築家にあこがれたわけでもありません。そもそも美術が不得意で、芸術の選択科目は音楽を取ったぐらいでしたから、志も知れたものです。
確かにデザインやファッションに興味がありました。しかし、それが学問の対象だなんて思ってもいないので、選択肢に入らない。そういう時代でした。父もそうで、大阪大出身の溶接のエンジニア。無口なのですが、突然赤い靴を買ってきたりして、実はデザインにものすごく興味があったように思いますが、きっかけがなかった。建築についても、…
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February 23, 2020 at 05:30AM
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母校をたずねる:水戸一高 「スカイハウス」に再会するまで…消去法だった建築への道 建築家・妹島和世さん=1974年度卒 - 毎日新聞 - 毎日新聞
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