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ログハウス仮設住宅に 昨年死去の建築家・芳賀沼整さん - 読売新聞

 

 昨年の暮れ、木造の仮設住宅にこだわった建築家が闘病の末に61歳の生涯を閉じた。南会津町の芳賀沼せいさん。「もじゃもじゃ頭の先生」と慕われた人はなぜ、木のぬくもりを被災地に届けようとしたのか。その足跡をたどる。

 今年2月、南相馬市小高区の鈴木敬徳よしのりさん(78)宅に、仮設住宅時代を共にした3人が集まった。原発事故の避難指示で、鹿島区の牛河内うしこうち第2仮設住宅団地で暮らすことになった仲間たちだ。

 震災の仮設住宅といえばプレハブの建物がほとんどだが、鈴木さんたちの団地は異例づくしだった。木の香りのする平屋のログハウス。集会所の壁に落書きのような絵。そして、広場には奇妙にねじれた、カラフルな8メートルの塔――。5年ほど続いた仮設住宅の日々は色あせず、「懐かしいなあ」と口々に語り合った。

 団地を設計した芳賀沼さんは、入居者の声を聞くため、たびたび顔を出した。「俺は小高に絶対帰るんだ」と鈴木さんが古里への思いをぶつけると、うんうんと真剣な顔で聞いていた。

 「我々の言葉によく耳を傾けてくれた。整さんの言うことなら間違いない、と誰もが全面的に信頼していた」

 9年前、芳賀沼さんは富岡町で強い揺れに襲われる。自身が設計し、5か月前に完成したばかりの住宅が津波で流され、避難した高台から呆然ぼうぜんと眺めた。その場にいた施主の遠藤秀文さん(48)は、思い詰めたような横顔をいまも覚えている。

 知り合いは被災したか。過去に関わった建物は無事か。芳賀沼さんは翌日から何かに突き動かされるように被災地を訪ね歩いた。「一体いつ寝ていたんだろう」と遠藤さんが不思議に思うほどのバイタリティーだった。車の走行距離は3年で30万キロ。「(被災地の)問題に対峙たいじすることは、避けることのできない宿命」と本人は後に記している。

 震災後に建てられた県内の仮設住宅は1万6800戸にのぼる。県が木造を公募したのは、プレハブだけでは供給が追いつかない事情もあった。約6000戸が木で造られ、その1割を芳賀沼さんの建築設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」が設計した。

 ログハウス型住宅にはさまざまな利点がある。一本一本のログは断熱材や内装・外装も兼ね、解体後は再利用できる。何より素材の温かみが、被災した住民の心に落ち着きをもたらす。

 塔は、「集会所のコンセプトを考えてほしい」と芳賀沼さんに頼まれた東北大教授の建築評論家、五十嵐太郎さん(53)の発案だ。平屋が並ぶ水平な景観の中に垂直の要素を導入し、記憶に残る風景を生み出すのが狙いだった。芳賀沼さんはそのアイデアを面白がり、模型を使って住民に熱っぽく説明した。人の行き来が自然と生まれるように配慮された住宅の配置は、日大工学部の研究室の案を取り入れている。

 「自己表現より、人を巻き込んで仕事を分かち合うことが好きだった。あんな建築家はなかなかいない」と五十嵐さんは評する。

 小高区は2016年、避難指示の大半が解除され、念願どおり鈴木さんは地元に帰った。自宅の改築は芳賀沼さんが設計を手がけてくれた。

 悪性リンパ腫で死去――。昨年12月の訃報ふほうに、耳を疑った。

 家は海を望む高台にある。鈴木さんには、今でも芳賀沼さんがあの大きな体を揺すって、坂を上ってきそうな気がしてならない。

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May 10, 2020 at 03:00AM
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