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100年前の写真に写る三角屋根の建物とは 大物俳優や監督ら集う場所(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

 阪急電鉄夙川駅から北へ延びる甲陽線の終点、甲陽園駅(兵庫県西宮市)。約100年前に撮影された写真を手に街を歩くのは、駅前で約60年前から「甲陽園カメラ」を営む生田富人さん(85)。写真の中でひときわ目を引く三角屋根の建物を探す。「線路の位置と甲山の尾根から、撮影地はここだと思うが…」。見えるのは家の壁や屋根ばかり。この三角屋根は何の建物だったのか-。

【写真】同じ場所から撮影した現在の甲陽園

 話は約100年前にさかのぼる。大阪と神戸の二大都市へのアクセスがよく、眺望に恵まれたこの土地は「甲陽公園」として開発された。1918(大正7)年設立の甲陽土地株式会社社長の本庄京三郎が一大保養地整備に乗り出す。遊園地や劇場、温泉、旅館などが立ち並び、ブラジルのコーヒー文化を広めたとされる喫茶店「カフエーパウリスタ」の支店もあった。

 「一日の清遊にも、連日の保養にも 東洋一の大公園」。当時の広告はうたう。阪神間の名士が別荘や邸宅を構え、映画の撮影所「甲陽キネマ撮影所」もできた。この撮影所に最初の転機が訪れたのは、1923(大正12)年。関東大震災の発生によるものだった。大阪の生命保険会社が自社宣伝用の映画を撮るために撮影所を買収し、「東亜キネマ甲陽撮影所」となった。これが、冒頭の三角屋根の建物だという。

 震災の影響で映画関係者が拠点を京都に移したこともあり、関西の新天地に活路を見いだそうとする若手映画人が撮影所に集う。さらに撮影所は「日本映画の父」といわれる牧野省三(マキノ省三)の映画製作所と合併。勢いは増した。

 ここでは多いときで、1カ月に7~8本の映画が制作されたという。喜劇俳優として有名な榎本健一(エノケン)もここで下積み生活を送り、俳優デビューを果たした。西宮市の学芸員豊田みかさんは「今では考えられないような大物がいたようだ」とする。

 ただ、栄華は長く続かず、撮影所は会社創立からわずか4年で閉鎖された。世界恐慌に端を発する昭和恐慌のあおりをもろに受ける。また、この地そのものが、住宅地としてはやや不便で、リゾート地としても阪急電鉄の宝塚、阪神電鉄の鳴尾や甲子園に客を奪われ、次第に衰退していった。

 しかし再び、甲陽園に脚光の当たる時がやって来る。深刻な宅地不足に陥った戦後、住宅地としての需要が一気に高まった。「あのマンションも昔は空き地で、よく息子を遊ばせた」と生田さん。急激な人口増に合わせ、1968(昭和43)年には、撮影所があった場所の南に位置する大池の一部を埋め立てて甲陽園小学校が開校した。一大保養地の名残は消えていく。

 「カフエーパウリスタ」支店だった洋館は唯一、開園時の建物として残っていたが、老朽化で2016年に解体された。甲陽園は閑静な住宅街となった。住民らから託された古い写真と、現在の風景を比較する写真集を出版した生田さん。「見る影もないねえ」。土地の歴史をしのぶように遠い目でつぶやいた。(中川 恵)

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May 11, 2020 at 08:30AM
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