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【ENGINE・ハウス】建築家の自邸だからできた旗竿地の家 夫婦が揃って毎日すごせる設計図| ENGINE WEB - AFPBB News

雰囲気は良いが業者もためらう難しい土地。道路から何メートルも下がった100坪の旗竿地を、建築家は柔軟なアイディアで素敵な家に変えた。 

今回紹介するのは、建築家の小長谷亘(45歳)さんと、奥様で照明デザイナーの、内藤真理子さんの自邸(アトリエ+住居)である。場所は、起伏に富んだ町田市の丘陵地。50年ほど前に開発された地区だ。

「おそらく当時のままの区画でしょう」と話すように、100坪を超える敷地は今の時代では珍しいもの。しかも南の隣地は公園で、将来家が建つことは無い。相当に恵まれた立地のようだが、実は不動のプロも躊躇していた土地。裏手で幅2m弱の通路が道路に通じただけの旗竿敷地で、表の道路からは何mも下がっている。しかも道路を支える擁壁は古く、何かしらの検討が必要だ。

敷地は道路よりも何mか下がった位置。1階が住居で2階がアトリエ。1階の南面は全面窓となっている。

そこで小長谷さんは、建築家としての知識と柔軟な発想で問題を解決する。まず1階を丈夫な鉄筋コンクリートで作り、万が一擁壁が崩れるようなことがあっても、建物には問題が無いようにし、その上に木造の2階を載せた。間取りは1階が住居スペースで、2階はアトリエ。さらにコンクリート部の屋根を橋のように西に延ばして道路と繋ぎ、玄関を設けて2階からも入れるようしたうえ、2台分の駐車場も確保した。

木造の2階部分を少し変形させ、東南の角に屋外でお茶を楽しめるスペースを設けた。テラスが一周しているので、2階でも窓掃除は簡単。家は敷地中央に建っており、北側の庭も広い。現在植物は成長中。

そもそも二人が結婚したのは2005年のこと。それに合わせて、名のあるアトリエ系の事務所勤務からそれぞれ独立した。最初は都心に近いマンションをSOHOとしたが、二人とも一軒家育ち。建築のスタイルからしても、都心に事務所を構えるよりは、ゆったり時間の流れるエリアが合っている。長男を授かると、今の家から徒歩圏内にある奥様の実家近くに一軒家を借り、事務所兼住居に。そして何年も準備をした後、去年この家が完成したのである。

内藤さんのお父様である内藤和さんは、ENGINEの愛読者。本国からゴルフの整備マニュアルを取り寄せ、自分でメンテナンスを行っていた。

入口の雰囲気はお洒落なレストラン。

興味深いのは、内藤さんの体験に小長谷さんが随分と耳を傾け、家作りに反映させたこと。特に内藤さんのお父様は飛行機のエンジニアで、随所にその影響が感じられる。例えばファンシーな「おウチ」ではなく、工場のような少しハードな雰囲気が好みだ。

因みに現在小長谷家にあるゴルフ5(2008年型)は、このお父様から譲り受けたもの。若い頃はラリーも楽しんだクルマ好きで、21世紀になってからはゴルフ3ワゴン、そして前述のゴルフ5に乗っていた。技術者らしく、「大衆車だが質実剛健な点」を気に入っており、新幹線ができてからも、親族の住む秋田まで毎年ロングドライブを敢行するほどだった。

ところが数年前に大病を患い運転を諦めた際、子供たちは父親の愛車を引き継ぐことを選択。小長谷家に来たゴルフは、家族でキャンプ道具を満載して出掛けることが多く、ルーフ・キャリアを新たに取り付けた。なかなか便利で、高さ3mほどの植木を持ち帰ることもできるとか。

2階の北側にも長い窓があり、明るく景色が良い。

建築家の小長谷さんのスペースとは、本棚で分けている。

2階から入ると、手前が照明デザイナーの内藤さんのオフィス+打ち合わせスペース。窓越しに、アトリエと同じ目線の公園が見える。

もうひとつ内藤さんが興味を持っていたのが、幾度も訪れた秋田県角館の祖父母の家だ。「商売をやっているので、通りから店舗、事務所、住居と、一つの屋根の下が3つのエリアに分かれており、時々知らない大人が家に居るんです。そうした経験は、子供の成長に重要」だと内藤さんは考える。ところが現在住んでいる街では、大人は遠くに働きに出ており、昼間の街では見かけることがない。

そこで二人のアトリエが、住宅街に対して少し開かれた存在となるよう工夫した。大きな窓を通して、隣の公園や道路から、アトリエの様子がなんとなく分かるように設計したのだ。やがて公園で遊んでいる子供たちと接点が生まれ、ケガをしたらアトリエに駆け込んできたことも。誰か大人が居るのは、子供にとって心強いのだ。今後は、もっと地域に開いたオフィスにすることを計画中である。

天井の高さは圧倒的。ここは木製サッシが許可された地域で、一からデザインした特注のもの。左右2か所に、高さ3.6mの引き戸があり、庭に出ることができる。キャンプ好きの家族は、屋内にもハンモックを。

圧巻の天井高3.4m

さて、2階のアトリエ・スペースから屋内階段で1階に降りていくと、景色の違いに驚かされる。仕事場とプライベートゾーンの差以上に、広さ27畳分、天井高3.4mのリビング・ダイニング・キッチンの開放感が圧倒的なのだ。しかも南側だけでなく北側も全部が窓となっている。

往々にしてキッチンは眺めの良くない位置に設けられることが多いが、この家では北側の庭越しに遠くの丘まで見える。しかもガラス窓は、直接コンクリートの躯体に差し込まれており、接合部にフレームが存在しない。こうして生まれた抜け感は相当に気持ちが良いものだ。コスト削減策のひとつだが、高い施工技術が無いとできない技でもある。

壁に掛かった100号の絵は、以前この場所に建っていた家の住人の画家が残していったもの。子供部屋は入口が2つあるので、将来仕切ることも可能。

できるだけ素の素材を用い、それ以外はDIYを多用したのも小長谷邸の特徴だ。仕上げに特徴のある金色のレンジ・フードやキッチンの照明は、小長谷さんが工具を用いて作ったもの。ダイニング・テーブルや子供部屋の2段ベッドまで、小長谷さんは製作している。

そしてリビングのシャンデリアは、内藤さんのデザイン。大変な高所取り付けも、小長谷さんが行った。こうしたDIYの調度品に、長年集めてきたビンテージの家具、そして木製の窓枠とその向こうに広がる庭……。様々な要素が合わさり、剥き出しのコンクリートの部屋にも関わらず、心落ち着く空間となっている。

バスルームの窓も天井まで。額のような鏡をスライドさせると収納が現れる。

顧客の家では簡単に導入できない素材を、実験としてこの家でテストしているケースも。地下は余裕のある納戸。

子供が生まれてからと言うもの、小長谷さんと内藤さんは自宅で仕事をしながら、手の空いている方が子供の面倒を見る生活を送ってきた。だから「夫婦が揃って家の中で過ごす」ことを前提にこの家は設計されている。

パンデミックが起きて多くの人が気付いたように、家族全員が家の中で心地よく暮らすのは案外難しいものだ。その点で小長谷邸は、尖ったところは無いが、少し時代を先取りした家だと思う。

■建築家:小長谷亘 1975年 東京生まれ。東京理科大学大学院修了後、手塚建築研究所に入所。副所長を務め、住宅を中心に数多くの物件に関わる。独立後は住宅だけでなく、病院や商業施設も手掛け、あだち内科クリニックでグッドデザイン賞を受賞。趣味でアンティーク家具や美しい鉱石を収集してきたが、自邸完成後は庭づくりへの関心が高まっているとか。 照明設計:内藤真理子 横浜市生まれ。小長谷亘の公私にわたるパートナー。芝浦工業大学大学院修了。独立前は、愛知万博・トヨタパビリオンにも関わる。現在は住宅だけでなく、保育園、飲食店などの照明計画や、角館の夜桜ライトアップなども手掛ける。

文=ジョー スズキ 写真=鈴木 勝

(ENGINE2020年7・8月合併号)

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July 24, 2020 at 06:48AM
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