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コロナで東京という都市は変わる! 『変われ! 東京』 | J-CAST BOOKウォッチ - J-CASTニュース

 国立競技場を設計した建築家・隈研吾さんは、コロナ禍によりオリンピックが延期になり、さぞ落胆しているのではと思いきや、本書『変われ! 東京』(集英社新書)を読むと、そうでもないことがわかった。東京の最前線で「大きな」建築を手掛けてきた隈さんは、一方で、シェアハウス、トレーラーの移動店舗、木造バラックの再生など、「小さな」プロジェクトにも取り組んできた。「大きなハコ」の限界を指摘し、「小さな場所」の可能性を探る本書から、これからの東京の新しい姿が見えてくる。

東京を歩き、語る都市論の第3弾

 本書は隈さんがジャーナリストの清野由美さんと東京を歩き、語る都市論の第3弾。前の2冊は『新・都市論TOKYO』、『新・ムラ論TOKYO』(いずれも集英社新書)として、2008年と2011年に刊行されている。

 これらで隈さんは、外部の批評者だったが、今では内部の当事者となっていた。国立競技場や高輪ゲートウェイ駅など東京で注目を集める建築に連続して関わっていたのだ。清野さんは当然、それらを取り上げるものと思っていたが、隈さんはそうした「大きな建築」ではなく、自分が関わったシェアハウスや屋台のような「小さな建築」「かわいい建築」じゃないと、話は面白くならない、と提案してきたという。

 そうして以下の構成となった。

 第1章 なぜ東京は世界中心都市のチャンスを逃したか  第2章 シェア矢来町――私有というワナ  第3章 神楽坂「TRAILER」――流動する建築  第4章 吉祥寺「てっちゃん」――木造バラックの魅惑  第5章 池袋――「ちょっとダサい」が最先端  終章 ずっと東京が好きだった

「オオバコモデル」の限界

 「はじめに」で隈さんは、効率性を追求してきた超高層ビルなど「オオバコモデル」は、コロナウイルスにより、いかにもろく、生物としての人間の生理に反した不自然なものであるかをつきつけられた、と書いている。

 「コロナウイルスが来なければ、僕たちはポストペストの慣性のまま、都市に閉じ込められ、効率性の神話を信じ続けていたかもしれない。方向転換もできぬまま、不自由になってしまった自分の姿に気が付くことなく、さらにオオバコを積み重ねていたかもしれない」

 そしてコロナ後の都市のテーマは「衛生」ではなく「自由」であると。

 隈さんはコロナの前から、建築家は内部の倫理を人に押し付けて、ふんぞり返ってきたのではと内省し、自分で小さな商売を始めることにした。若い仲間とシェアハウスを作り、その屋上に野菜を植えた。木のトレーラーハウスをデザインし、実際に移動式の飲食店を経営してみた。

隈さんが大家のシェアハウス

 第2章以下で、その現場を二人で訪ね、討論している。シェア矢来町は隈さんが大家のシェアハウス。隈さんの妻の篠原聡子さんと内村綾乃さんの共同設計で、2014年に日本建築学会賞を受賞している。3階建てだが、なんと入口がドアではなく、テントのジッパーだ。

 清野「こんにちは~。おおテントをくぐると、そこは三層吹き抜けのエントランスホール。おしゃれです。階上から賑やかな声が聞こえてきます。それとともに、いい匂いが漂ってきています」

 内村さんは設計しただけでなく、住み込みの管理人もしている。「7人の住人が、疑似的な家族になって、戸建てで暮らすように個人の暮らしを成り立たせています」と話す。

 隈さんがシェアハウスを業者の「商品」ではなく、「手を使って日々の暮らしをエンジョイする空間」として定義し、つくった背景には、80年代に関わったコーポラティブハウス運動での挫折があったという。

 仲間が集まってつくる集合住宅だが、関係者が破産したり、自殺したりして、プロジェクトの連帯保証人になっていた隈さんが数億円の借金を背負うことになった。裁判で減免措置を受け、18年かけて返済したという。「私有ほどヤバいものはない」という教訓を得たそうだ。

 矢来町のシェアハウスは、家賃7万3000円に共益費が1万2000円の計8万5000円。ゆくゆくはこの形を高齢者施設にしてゆきたい、と隈さんは話している。

 吉祥寺のハモニカ横丁にあるバラックのような「てっちゃん」を訪ね、木造の価値について語っている。その上で、「安っぽいはずの素材で、いかに力強く美しいハードとして結晶するか。それが建築家の力量だ」とも。

東京から放逐されていた1990年代

 終章を読み、隈さんは1990年代東京から放逐されていたことを知った。91年に世田谷区の環状8号線沿いにマツダのショールーム「M2」を設計した。ガラス張りのクールなハコの中央にイオニア式の巨大な列柱を貫かせたデザインでバブルの時代を皮肉ったが、その意図はまったく通じなかった(現在は葬祭場になっている)。建築界やメディアで不評を呼び、以後2001年まで東京での仕事は一切なくなったという。

 その間、地方でいろいろな建築を手掛け、じっくりと風土と建築の関係性について勉強できたので良かったという。

自分がクライアントになればいい

 隈さんは「クライアントがいなくたって自分がクライアントになっちゃえばいい」と話し、町場で建築をやりながらケーキ店やカフェを経営する若手建築家を取り上げている。

 最後にコロナ禍による東京2020の延期については、「建築を百年単位で考えているから、それほど深刻にはとらえていません」と話している。

 「東京2020がよもや中止になったとしても、別のさまざまな機会を通して、人々が国立競技場の空間を感じてくれることは変わりません。このような災厄もふくめて、東京は歴史の壁を乗り越えていけばいい」

 建築家がコロナを見据えた都市を構想していることに少し勇気をもらった。

 BOOKウォッチでは、隈さんの自分史にあたる『ひとの住処』(新潮新書)を紹介済みだ。

  
 

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July 20, 2020 at 06:23AM
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