Search

<つなぐ 戦後75年>桶川の特攻兵訓練施設を復元「平和祈念館」に 建物保存に尽力 NPO法人会長・臼田智子さん(77) - 東京新聞

「戦争で多くの命が失われたことを知ってほしい」と願う臼田智子さん=いずれも桶川飛行学校平和祈念館で

「戦争で多くの命が失われたことを知ってほしい」と願う臼田智子さん=いずれも桶川飛行学校平和祈念館で

 戦時中、航空兵を育成し、大戦末期は特攻兵の訓練を行った施設が復元整備され、8月に「桶川飛行学校平和祈念館」として桶川市川田谷に開館した。遺族で建物の保存に尽力したNPO法人「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」会長の臼田智子さん(77)は「戦争のない平和を未来につなげてほしい。建物自体が戦争遺構。校舎も語ると思うんですよ」と話している。(前田朋子)

 「親愛ナル満智子智子ヨ オ父サンハ大東亜戦争ノ勝利ノ為(中略)日本男子ノ最大ノ譽ヲ得テ立派ナ戦果ノ下ニ散リマス」

 訪れた人が足を止め、食い入るように読む遺書は、智子さんと姉に宛て、父・伍井(いつい)芳夫大尉=享年(32)、没後中佐=が書いたもの。七十五年前、この場所にあった「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」の教官だった芳夫さんは、自らも特攻隊長として一九四五年四月一日に沖縄へ出撃、慶良間諸島で戦死した。当時一歳だった智子さんに父の記憶はない。

 教官で妻子があり、三十二歳と年長だった芳夫さんは、本来は特攻出撃しなくてよいはずだった。特攻作戦には反対で、上官に「納得できない」と具申したこともあったという。しかし、作戦が決まれば一番に行くと決断。智子さんは「教え子の訃報が届くのに耐えられず『自分も行く』となったのでは」と推し量る。

 智子さんには弟もいたが、終戦直前に生後八カ月で病死。母・園子さん(故人)は戦後、二人の娘を養うため小学校教諭となった。父のことはあまり語らず、智子さんは戦死の経緯を知らずに育った。中学生だったある日、父の上官だった菅原道大氏(元中将)が自宅を訪れるまでは。

 智子さんを見て「こんな小さいお子さんがいて、なぜ特攻に」と漏らした菅原氏に、園子さんは声を荒らげ「あなた様は!」と言ったまま絶句した。「怒っていたんでしょう。『小さい子がいるのに、あなたが命令したんでしょう!』と」。ようやく生活が軌道に乗った中、忘れたい傷に触れられた思いだったのでは、と智子さんは振り返る。普段取り乱すことのない母の激情を見て、父が特殊な亡くなり方だったことを徐々に理解していった。

 成人後、智子さんは夫が創業した食品卸会社の役員として、母として多忙な中、園子さんが六十八歳で亡くなったのを機に市の遺族会役員などを引き継いだ。生前の園子さんは特攻を美化する考えを否定し「あがめるものではなく、つらい任務。(亡くなった特攻隊員は)神様ではなく人間」と話していた。智子さんもその思いを引き継ぐ。

 二〇〇三年には母が残した父の遺書などを記録しようと「特攻隊長 伍井芳夫」を自費出版。読んだ人から「飛行学校のことも入れては」と助言があり、父の教えた学校が市内に残っていることを知った。

 引き揚げ者用住宅などとして使われていた建物は当時、荒れ放題。有志で清掃し、〇五年には「語り継ぐ会」を立ち上げて保存に向けての方策を探りつつ、署名を募って市へ働き掛けた。一カ月足らずで署名は一万四千筆集まり、市も保存へかじを切った。木造四棟、鉄筋一棟の五棟を市の文化財に指定し、会が集めた寄付金を合わせ約四億四千万円かけて整備した。

 戦後七十五年の節目に開館した祈念館。智子さんは、訪れる人たちには戦争があったこと、多くの命が失われたことを知ってほしいと願っている。

祈念館に展示されている芳夫さんの遺書の写し。右が弟で早世した芳則さん、左が智子さん姉妹あて

祈念館に展示されている芳夫さんの遺書の写し。右が弟で早世した芳則さん、左が智子さん姉妹あて


関連キーワード

Let's block ads! (Why?)



"建物" - Google ニュース
September 01, 2020 at 05:36AM
https://ift.tt/34Q25HV

<つなぐ 戦後75年>桶川の特攻兵訓練施設を復元「平和祈念館」に 建物保存に尽力 NPO法人会長・臼田智子さん(77) - 東京新聞
"建物" - Google ニュース
https://ift.tt/35BYQjS
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

Bagikan Berita Ini

0 Response to "<つなぐ 戦後75年>桶川の特攻兵訓練施設を復元「平和祈念館」に 建物保存に尽力 NPO法人会長・臼田智子さん(77) - 東京新聞"

Post a Comment

Powered by Blogger.